芸能裏事情
刺青を入れてる人が『刺青への偏見をなくそう!』みたいなことを言っている人を見るとマジでバカなんじゃないのかと思ってしまう。自分はそういう人への偏見はゼロだけど、世間の目はそう簡単には変わらないと思う。そもそも偏見とか気にする人が刺青入れるなよ!そういうことを気にせず強く生きていける人が入れるべきなのだと思う。そういう人で『これだから日本はクソ』みたいなことを言う人は本当に最低だ。僕は基本的に日本と外国を比べる人が好きじゃない。「これは外国では〜...」みたいなことを言ってくる人に対しては「ここ日本だから!!」のスタンスを取るようにしている。このスタンスは一生変わらないだろう。
同じ理由で大麻の合法化をさせようとする人も好きじゃない。日本で逮捕覚悟で吸うか合法化してる外国で吸えばいいのに、なんでわざわざ国の法律を変えるという回り道をするのか理解できない。ていうか逮捕されない環境でするドラッグって意味あるのだろうか。いつ逮捕されるかわからないギリギリのスリルはドラッグの快感を左右しないのかな。もしかしたら、「ギリギリでいつも生きていたいから Ah」と歌っていたKAT-TUNはドラッグをやっていたのかもしれないと思ったけど、田中聖と赤西仁あたりは本当にやってそうで芸能界の裏を知ってしまった気がする。これ以上話すとジャニーズ事務所に消されてしまうので今回のブログはこの辺でやめておきます。終わり
4月
気がついたら入学式から半月が経っていた。毎日ちょっと早く起きて授業を受けて帰ってくる生活に特に感想はない。中高一貫なので高校になっても大して学校生活に変わりはない。教室にも知っている顔が多く、自分の周りにはすでにコミュニティが出来上がっている。その点、高校から入ってきた生徒がとても不憫に思える。すでに構築されている人間関係に割って入るのはなかなか難しいし、またそういう環境に身を置くことには筆舌に尽くしがたい不快感というか、気持ち悪さがある。いずれ中学からそのまま上がった生徒と高校から入ってきた生徒の間に存在する今のような不穏な緊張感は消えるだろう。でもその二つのグループの間に存在する見えない壁は卒業するまで消えないと考えると、高校からわざわざこんな学校に入る必要はなかったのではないかと思う。
友達は皆学校の悪口を言う。でも僕は学校に対する感情がほぼ「無」に近いので、大して悪口なんて出てこない。やれ男子校だから何だ、校則が厳しいのが何だというようなこと今更言ってもどうにもならないだろと思う。受験前に色々リサーチをして、どういう学校かということをちゃんと把握した上で入学したのだからそのくらい我慢しろ、というかそもそも学校に何の期待をしていたんだという気持ちになる。みんな往生際が悪すぎる。お前らにはカッコつける相手の女子がいないのだから必然的にチャラチャラ髪を伸ばす必要もないし、伸ばしたところで顔がカッコよくなることはない。諦めろ。色々な学校がある中でこの学校を受験することに決めたのは自分自身なのだから、そんな学校を選んでしまった自分がダサいのであって、悪いのは学校ではない。いや、学校も悪いかもしれない。
話は変わるが、熊本で地震があった。熊本は自分が10年間住んだ場所で、旧友が沢山いるので心配だ。でもなぜか自分の友達は絶対に死んでないだろうという気持ちがあって、余震が何回あってもその気持ちだけは揺るがなかったので、多分みんな生きてるんだと思う。でも死んでたらイヤだ。でも思っていたより事態は重大らしい。ニュースでは毎日ボロボロの熊本城が写っている。熊本城にも昔は何回も行った。いつも熊本のシンボルとして悠然と佇む様を見ていた自分からしては、今ニュースで流れる熊本城の姿はなかなかショッキングだ。映画で主人公がピンチになっているシーンを見ている時と同じような気持ちになる。僕はああいうシーンがどうも苦手だ。それは映画なので、主人公はどうせここから立ち直るのが目に見えているのだが、だからこそ主人公がピンチになったりすると何か一種の悔しさのようなものを感じてしまう。これと同じようなことで主人公が辱められたりするシーンも苦手だ。ただこれにはそんなに深い理由はなくただ自分まで恥ずかしくなってしまうのが嫌だからだ。もしかしたら自分は必要以上に登場人物への感情移入をしてしまう質なのかもしれない。
話が逸れてしまったが、この地震による災害は映画ではないので、ここから立ち直るのは簡単なことではないだろう。またいつか立派な熊本城の姿を見たい。ここまで書いて一つ思い出したことがある。熊本城には「ひごまるくん」という公式マスコットキャラクターがいる。熊本城はやはり熊本のシンボルなので県内でのひごまるくんの知名度はなかなか高かった(と思う)が、県外では本当に知名度がない。完全にクマモンに食われている。別に自分は特別ひごまるくんのファンでもなんでもないのだが、何だか悲しい気持ちがある。これからは、クマモンと力を合わせ、熊本の復興に一役買ってほしい。僕もできることからやりたいと思う。終わり。
春休み
今年の春休みは本当に暇だった。去年までは部活動があったので暇になることなんてなかったのですが、部活を引退してからは本当に暇になった。夏休みにはお盆、冬休みには正月があるので部活にもまとまった休みがあるのですが、春休みにはそういった「世間的な休み」がないので、全体で大体三日ぐらいしか休みがなかった。しかし、去年の夏で部活を引退した僕は暇のつぶし方がわからず、莫大な時間を持て余している状態でした。そういう時は適当に街に出て、レコードショップや古着屋を見て回る事をしていたのですが、そもそも大してお金もないのでちょっと買ったらそれで終わりになります。「レコードショップと古着屋巡り」というとオシャレで文化的な趣味だなと思われるかもしれませんが、僕はただ安く物を手に入れたいだけなので、ほぼ服やレコードの値段に文句をつけて回っているようなものです。最悪だ。
「今年の春は花見するぞ!」と散々言っておきながら、当たり前のように一回も花見をしていない。人が集まらなかったとかそういうのではなく、たぶん花見が別にやりたくなかったからだと思う。春が来たら気温もあったかくて気持ちいいんだろうな〜と冬には思っていたけど、実際に春がくるとそんなこと微塵も感じない。たぶん自分は、「花見をすることによって春の訪れを体で感じ、今後の生きる活力にしたい」くらいの立派なことを考えていたのだろうが、花なんて見なくても春は感じざるをえないし、そもそも花見なんて友達が多く、私生活が充実している人間が仲間と語り合う場だと思うし、自分のような本当に一度も春休み中に遊びの誘いが来ないようなロンリネス人間が一人でやっても何も得ることがないと気付いた。死にたくなってきた。一生花見はしない。
あと今年の春休みから英会話を始めました。別に明確な目的があるわけでもなく、もし自分が日本で社会的に死んだり日本にいられない事態になった時に、外国で生きれないとまずいなと思ったくらいです。でもこんな理由で英会話を習いに来る15歳なんていないだろうし、もうここまで来ると逆にかなり明確な理由になっているような気がする。さっき書いたように、春休み中に一回も遊びに誘われず、友達とも会わなかったので春休みに会話した相手に家族か外人かというとんでもない振れ幅ができてしまった。あとこれはさっき気づいたことなんですが、僕は「MY NAME IS」と書かれたリュックを英会話に持って行っていて、めちゃくちゃ英会話に気合が入ってるやつみたいで恥ずかしいなと思いました。「MY NAME IS」て。自己紹介する気満々だし。
まあ今年の春休みはこんな感じでした。明日は始業式です。もう高校生なんですね。中高一貫なので学校も変わらないし楽でいいです。今日はもうここら辺で終わりにします。